忍者ブログ
好きな言葉達。 引用掲載に当たって、改行などの多少の編集を加えています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「知識」=「知っている事」
記憶していることになりがちですよね。

仕事でとある人のプレゼンを聞いていて、
「知識とは自覚すること」と仰っていたのが
とても衝撃的でした。

知っているだけではダメ。
知っていることを認識すること。
あるいは、知らないことを認識すること。
それが知識なんですね。

頑張って記憶するのは自己満足に過ぎない。
そこから一歩上がってこそ、初めて知識と呼べるのですね。
勉強になりました。

拍手[0回]

PR
「88歳といっても、まだどこか自分には幼稚なところがある気がするというか。
 影絵に関しては、それなりに上手いかなと思えるところもあるし、
 どちらかといえば器用なんだけど、
 それが行き過ぎると、また幼稚になってしまうのだろうし、
 完成されないから続けていけるのかもしれない。

 それに僕は好きでこういうことをやっているのであって、
 何かに到達したいわけではないんですね。
 生きていることを楽しみながら、生きる喜びを感じながら日々、創作をしている。」

(MOE2012年6月号 藤城清治さんの言葉から)

もっと早く確かな未来が欲しかった。
曖昧な自分の「「過去」と「今」が怖くて、「未来」へ思いを馳せることに逃げていた。

でも逃げたって、もがいたって、結局自分っていうのは完成しない。
進むことはできても、途中で休憩することはできても、ゴールなんて存在しない。
だから毎日苦しいし、だけど毎日何かを変えられる希望に満ちている。

どこか幼稚なままで、それは誰だって同じで、だから自分を卑下する必要は無い。
自分のまま、自分が楽しく生きたい。

そうやって生きることを楽しめたら、とっても幸せ。

拍手[2回]

ずいぶん前に亡くなったけど食べるたびに母のことを思い出すのよね。
母からは「思い出してもらった時だけ、この世に帰ってこられる」と教えられたから。
誰かの思い出とお菓子が重なるっていいじゃない。
(asahi.com ピーコの言葉から)

この記事のこの部分を読んだ瞬間、じわっと泣きそうになった。

誰もが忙しい世の中なんだ。自分の事で精一杯。
思い出してもらえるって、気にかけてもらえるって奇跡。
生きていても思い出してもらえなかったら、
相手にとっては消えた存在でしかないのだもの。

気にかけてくれる人に感謝。
思い出してくれる人に感謝。
そして、私も思い出して、時には語りかけよう。
自分の気持ちをちゃんと伝えよう。
お正月に向けて、良い機会かもしれないね。

記事はこちら

拍手[1回]

「分岐点に立った時っていうのは、
 絶対にどっちを選んでも後悔はするもんですけどね。
 じゃあ後悔するという前提で、どっちの後悔がいいのかと考えるってやり方ですよ」

(『The Gospellers ノーカット』から 北山陽一の言葉)

The Gospellers(ゴスペラーズ)のベースボーカル、美声の北山さんの名言だ。
選択肢を前にした時、それが重大であればあるほど、
どっちを選択したところで、必ず後悔するのは当然。
それが怖くて、優柔不断になってしまう。

このセリフを読んだ時、目からウロコが落ちた。
そうか、どっちの後悔がいいのかを基準に判断するのか。

私は今までの苦労とか積み重ねとか、とにかく過去を元に考えてしまっていた。
それを未来志向に考えるんだ。
これからの自分にとって何が必要なのか、何ならば棄てても惜しくはないのか。
どんなに大切な過去でも、絶対に取り戻せない。
大切なものは未来にしか存在しないのだ。



2007/10/28 初掲載

拍手[1回]

悩みはつきない。一つ解決すれば何かまた持ち上がる。
それが度重なるとトラブルにまで発展して、
どうして自分ってこうダメなんだろうと落ち込む。

悩むのはよくないとわかっていて、
でも、どうすれば悩まなくていいのだろうと思っていた。

「自分はね、ろくなもんじゃないと思えばいいの。
 自分は立派なもんだとか、ある程度のレベルの人間だと思うと、
 悩みってのはあるんですよ」

(EXILE HOUSEから 所ジョージの言葉)

あ、そうだ。自分を驕りすぎて、悩むことって凄く多い。
こんなの自分のレベルに合わないとか、
低レベルな人間が多すぎるとか、上から目線。
そうい人間の空気に感化されてしまった自分が嫌。

謙虚に世界に感謝できる気持ちが大事です。

拍手[0回]

先日、初めて自分の意志で人と飲みに行った。
今までは同僚や同期や上司や友人等々に気を使って、
決して気乗りはしない感じで行くばかりだったから。

仕事をするというのは楽なことじゃない。
プライベートな関係は除くと、
学校や他の団体以上にぶつかり合いも多い。
だから、皆ストレスを抱えている。
ストレスを抱えて、誤魔化しながら生きている。

私と一緒に飲みに行った人の内、
一人は私以上に仕事上のストレスを抱え、とても苦しんでいた。
自分で自分を過小評価して、否定してしまうくらいに。
私は慰めることなんておこがましいと思って、
でもどうしていいかわからなくて、ただ頷くばかり。
すると、ずっと黙って聞いていたもう一人の人がこう言った。

「俺はね、言霊(ことだま)ってやつを信じてるんですよ。
 だから、自分で自分を貶めるようなことは
 絶対に言っちゃいかんのですよ」


その時はぼんやりと聞いていたけれど、
一週間経った今でも、ものすごく心に響いている。

自分のことは自分が一番よく知っている。
だから、自分だけでも最後まで自分を守ってあげないと。
他に心を、プライドを守れる人はいないのだから。

一生忘れないでおこう。とても大切なこと。

拍手[2回]

私は卒業研究で『児童を被害者とする性犯罪』を扱った。
その時、数人の被害者が調査に協力してくれた。
ただの学生でしかなかった私に、多くのことを語ってくれた。
傷を受けて、その傷を抱えたまま、
人知れず苦しみながら、今日という日を生き抜いている。
その内の一人が、私に教えてくれた。

「好きになるって本当に難しいです。
 私みたいに全部信じられなくなっちゃうと、
 もう一回がんばって愛してみようっていうことに
 人の何倍も努力しなければいけないんです。」


確かに他人を好きになることは難しい。
普通の恋愛でも、努力が必要。
でも、人知れず何倍もの努力を重ねている人達がいる。

他人を信じるって、最も怖いこと。
いつ傷つけられるか、いつ裏切られるか、ずっと恐れている。
それでも、人を愛そうとする強さ。
精神を賭けてでも愛情を抱こうとしている。
それは正しく、命を賭けた愛情と言えるだろう。

そんな愛を感じたいと思う。抱きたいと思う。
今までの幼稚で子供騙しな恋を捨てて。

拍手[0回]

「好きなんだから仕方ないじゃないの。
 何で好きかなんて、あたしにだってわかんないわよ!
 そういうこと訊く時点で、人を好きになる資格ないんじゃないの?」

(199X年 友人の言葉)

 私に言われた台詞ではなかったのだけれど、何かもうひたすら彼女がまぶしくて。
 ああ、この子は恋をしているんだな。幸せなんだな、って思った。

 「恋って不思議」は奥井雅美の歌の歌詞だけれど、正にそう思った。
 でも、「恋は残酷」。
 自分が幸せな分、人を傷つけていることに気づかない。
 彼女は知らなかったのだと思う。彼女が言い張った言葉を受けたあの少女が、
 実は恋に敗れて、ココロがボロボロだったってこと。
 二人はそんなに長い付き合いじゃなかったから、仕方のないことだったけれど。

 「何で好きなの」ってしつこく訊き続けた少女も、恋ゆえに苦しんでいた。
 何かすっごく残酷。私だけが見つめていた精神ドラマ。
 甘くて哀しくて、それでいて懐かしい。でもとても残酷な物語。
 人のココロって本当に難しい。

拍手[0回]

「いいよ、無理にわかってくれなくて」

 私が当時の友人に言われた言葉だった。
 別に正義ぶったわけではないけど、人を理解しようとした。
 違う。
 私は人を理解しているふりをしていた。
 正義の味方になろうとしたわけじゃなくて、
 正義の味方のポーズだけとろうとした。

 本当に苦しんでいる彼女にとって、
 真摯なふりをした私の姿は、とても滑稽だっただろう。
 本当は、こう言いたかったのではないだろうか。

「いいよ、無理にわかっているふりをしなくって」

 わかっているふりをして、人の機嫌をとろうとする愚か者を、
 つらいはずの人が慰めるなんて、何て滑稽なんだろう。

 ずっと独りだった。繋がり続ける本当の友人なんていないし、
 少しだけ昔のことであっても、
 その愚かな過去を知る人とは繋がりたくないと、
 できる限り断ち切ってきたのは、自分自身だ。
 できる限り自分の鎖を短くし続けたのに、
 それでもその細かな破片にすがり付いている、
 愚かな私自身だ。
 所詮、私は私でしかない。過去も現在も、そして未来においても。

 それでも未来を思う。
 遠い未来にいる私は、過去の私ではない、と。
 全て断ち切ってしまって、新しい世界に逃げ出せると。

 結局、私は未来においても愚か者ということだ。

初投稿時 2006/3/1

拍手[0回]

突然だが、管理人の夕陽さんは
アフガニスタンの言語「ダリ語」を学んでいる。
当初、ミミズにしか見えなかったのが、
何とか文字と認識できるようになっただけでも、
自分じゃかなりの進歩だと思っているのだが、
先生にはいっつもこう言われてしまう。

「もっと勉強しなさい」

何故だろう。その時だけの話なのだが、
彼女にそう言われると、とても素直に「勉強しなきゃ」と思う。
彼女は女性の勉強が妨げられてきたアフガニスタンから
日本へ留学してきて、すっごく勉強している。
彼女だけじゃない。
中国や台湾からの留学生を見ても、
私の何倍も何倍も勉強している。
勉強したくて、一生懸命日本まで来ている。

それに比べて、私って何?
私が求めているのは「勉強する」事自体じゃない。
その結果ばかり。俗的なものばかり期待している。
何とか楽をして結果を出そうとしている。
私って最低。

素直に努力する心を、私は失ってしまったのだろうか。
それとも、元々私には備わっていない善心なのだろうか。

初投稿時 2006/2/2

拍手[0回]

photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アクセス解析
ブログ内検索