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好きな言葉達。 引用掲載に当たって、改行などの多少の編集を加えています。
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「…過去は過去でしょ」
「やったことは消えないけど」
「いろんなことがあっての 今のみきちゃんだから」
「みきちゃんを否定しようとは思わないよ」

「…ありがと」

(漫画『そうしそうあい』から めぐみとみきの会話)

全然違う二人。
めぐみは優等生で、みきは不良。
でも同じ人を好きになって、わかり合える友達になった。
素敵なことだね。

気が付けば、友達になるのは似た人が多い。
意見が合ったり、同じ感覚で話せたり。
でも、それは自分と話しているのと何が違うの?

全然自分と違う人と話せば、もっと世界は広がる。
その人とは違っても、認めてもらえたら、それだけで最高じゃない?

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「今日みたいにさ 一人ではどーにもならん事でもさ
 誰かと一緒にがんばればクリアできる問題って けっこうあるんだ

 そうやって力をかりたら
 次は相手が困っている時 お前が力をかしてやればいい

 世界ってそうやってまわってるんだ」

(羽海野チカ『3月のライオン』から林田先生の言葉)

力を貸して何も返してもらえないと損した気分になる。
助けなきゃ良かった、無駄な親切だったと自己嫌悪。
逆に人の協力を得る時も、何も返せない自分に躊躇してしまう。

でも、そうじゃないんだ。
すぐじゃなくても、あるいは第三者を介してでも
お互いに助け合える。
何ができるかなんて、未来のことはわからない。
だから、自分に出来ることを精一杯やろう。

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ぶつかり合って嫌われたり、悪口言われたり、
そんな嫌な経験の方が多い。
でも、なあなあで済ませて、何となくやり過ごすくらいなら、
嫌われてもいいし、悪口言われるのも仕方なくて、
はっきりと自分の意志を伝えたいと思ってきた。

でも、そのせいなのかな。色々失いすぎた。
ぶつかることを恐れて、本音で喋れなくなった。
だから、羨ましい。
リアルな感情で本気でぶつかれる人が羨ましい。

「俺 昨日ね
 すっげーうれしかった!
 だってお前昨日 思った事全部 正直に俺に言っただろ?

 考えてる事はお互い違ってもさ
 俺 お前の事 もっと知りたいんだよ

 だから すんげーうれしかった!
 俺 昨日やっと
 お前とホントの友達になれたような気がしたんだよ!」

(よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』から 花園春太郎の台詞)

そんな友達って、とても素敵。
一方的なわがままではなく、こんな関係が築けたら、最高だよね。

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ストレス解消が必要なんて、馬鹿にしてた。
ストレスを溜め込むこと自体おかしいんだって。
そんなもので紛らわしたって何の解決にもならないって。

社会に出て、わかった。確かに必要だわ。
どうしようもないことってある。
解決できないことの方が多いくらいなんだって。
だから、毎日できるストレス解消が大事なんだね。

「料理作ってる時って ちょっと無心になれるじゃない?
 だからごはん作るだけで イヤな事あっても
 けっこうリセット出来んのよね あたし

 人によってはそれがパッチワークだったり
 スポーツだったり お風呂だったりするんだろうけど
 あたしは料理かな」

(よしながふみ『きのう何食べた?』から 富永佳代子の台詞)

あ、本当だ。私が自炊やらお弁当やらを続けるのは、
きっとそういう理由なんだ。
うん、毎日手軽に楽しく美味しくできる、
とっても良いリセット方法。私って幸せだ。

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自己責任っていう言葉が巷に溢れている。
自分に対して本当にそう思っているなら、大いに自己責任をまっとうすれば良い。
でも、他人に対して自己責任を求めるべきじゃない。
他人に対して、自己責任を押し付けるものじゃない。

「ねえ 自分の引き起こした結果の全てに
 責任を取れる人間なんて どこにいるんだろう?」

(よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』から 橘圭一郎の台詞)

無理だよね。
そんなことできる人がいたら、それは何もしていない人だと思う。

自己責任のせいで自己嫌悪に陥らないように。
たかが1つの結果のせいで、未来を台無しにしないように。

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前向きになるのって難しい。
でも、何でなのかなって考えた。

私、怖がってる。
前向きになって希望を持つことを怖がってる。
いつの間にか叶わない夢を見てしまって、
夢が完全に破れた時に、希望が絶望に変わることを恐れてる。

だから、前向きになれない。行動を起こせない。
頑張ったって結果にならない、努力したって無駄。
そう思い込むことで幻の殻に閉じこもってる。

そんないい加減な言い訳、いつ覚えたの?

「出来ない事を悔やむより出来る事をする方が
 例え、それが結果に繋がらなかったとしても
 前には進めるわ」

(CLAMP作『xxxHOLiC』から 壱原侑子の台詞)

ああ、そうか。そんな簡単なことなんだ。
行動することは、すなわち前に進むこと。
結果は必然じゃなくて、進む気持ちが大事なんだ。

進もうと思って、気張って何かするんじゃなくて、
動くこと自体が既に前進なんだね。

生きるって難しい。
なのに、摂理はこんなにも簡単。

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花は美しい。
だけど、それは私の価値観。
同じ物を見ても、誰もが同じように思うわけではない。

それでも、花を見て美しいと思える時、
私はとても幸せな心を持てているのだと思う。

「毎日同じように咲いてるけどよ
 綺麗に見えるか そうでないかは
 見る側の都合かもしんねえな」

(峰倉かずや『最遊記外伝』から捲簾大将の言葉)

願わくは、いつもそう感じていられますように。
そんな私でいられますように。

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「ルールとは いつの世界も
 神とされる者によって創られるものだ」

(デスノート 夜神月のセリフ)

 私は神が存在すると思う。
 何故なら、私の神様は私自身だからだ。
 だから他人を神扱いする人間の感覚がわからない。
 否定はしなけれど、価値観を押し付けられたくない。

 一般に流通する神は、所詮神とさせる者に過ぎない。
 次々に奇跡とされる逸話を付け加えて膨れ上がった、
 現実離れの偽者でしかない。

 私の神も、私が神様だと決めただけで、
 誰かに認めてもらおうなんて思わない。
 要は自分次第。
 私のルールを創るのは、私自身。

初投稿時 2005/7/30

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「生きろ、飛影 お前はまだ死に方を求めるほど強くない」
(幽遊白書 軀のセリフ)

 自殺は、この世で生きていくことを拒む行為だ。
 だから、自殺者は決して強くなく、むしろ弱い。
 
 軀は告げている。
 自分で死に方を決めるのは、強くなれた者だけの権利だと。
 努力の末に何かを極め、
 それ以上のものがこの世に存在しないと悟った者だけが、探るべき方法だと。

 だが、誰もかもが強いわけではなく、むしろ弱いし、
 誰もオールマイティに強くなんてなれない。
 だから、極論で言えば、誰も死を選んではならない。

 しかし、安楽死は否定しない。肉体的苦痛への耐性には限度がある。
 精神的苦痛も同様だ。だが、あまりにも安易に死を選んでいないだろうか?
 死の先には何もない。
 この世に存在する全てのものが、何一つ存在しない。
 全てを手にした者だけが死を選ぶのは仕方ないとして、
 まだ手にしていないものがたくさんあるのに、その可能性を捨てるなんて、
 もったいないと、私は思うのだが。

 どんなにちっぽけな魂でも、可能性は無限大だ。

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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