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好きな言葉達。 引用掲載に当たって、改行などの多少の編集を加えています。
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「(ダンスの)相手は自分で決める」
(美少女戦士セーラームーンS セーラーウラヌスのセリフ)

 どういう経緯で出てきたセリフなのかはうろ覚えなのだが、とても印象に残っている。
 確か、敵さんが「踊りましょー」みたいな感じで攻めて来て、
 それを一蹴する直前の決め台詞だった気がする。
 自立、っていう感じ。

 当時の私にとって、ウラヌスは有り得ない格好良さだった。
 両性の魅力を併せ持った彼女は、輝いていた。
 周りに流されて自分らしさを棄てるなんて、彼女には有り得ない。

 私は今までに、たくさんの自分らしさを棄ててきた。
 だから、昔は憧れていたウラヌスが、
 今となっては羨ましく、少し妬ましい。
 取り戻せないものが多過ぎて、でも他人から見れば大したことがないもので。
 それでも、あの時棄てていなかったら、今輝くことができているのかなと思ってしまう。
 かなり過去への責任転嫁。

 自分で決めなければならないね。ダンスの相手くらいは。

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「実を結ぶために 花は散るのよ」
(少女革命ウテナ 千唾時子のセリフ)

 『ウテナ』を彩る薔薇は、決して実を結ばない。
 決闘者の胸に飾られて、花弁を散らし果てる存在だ。
 薔薇の運命は、決闘世界に囚われたデュエリスト達の生き様そのものでもある。
 デュエリストである自分から、自らの意志で抜け出した時に初めて
 薔薇は真実の意味で実を結んだのだと思う。
 いや、散り去ったのだから、もう必要なくなったと言うべきだろうか。

 時子はデュエリストではない。
 閉ざされた世界である学園に昔存在した大人であり、
 時の経過を拒む「世界の果て」とは両極端の位置にある。

 彼女の生き方が正しいのだ。 
 目先の美しさにばかり気をとられて、
 花の盛りを過ぎただけの人間を、用済みとばかりに世界から排除する。
 それが閉じた世界の有り方。
 大切なのは花ではなく、末代へと続く実なのだとすれば、
 今の世界システムは本末転倒。

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『手紙が届いたら
 封を切らずに そっとしまっておいて
 時が経てば 僕の今の気持ち
 きっとわかるはずさ 最初で最後のお願い』

(高橋ひろ 太陽がまた輝く時)

 子供時代に聞いた時、何を歌っているのか全然わからなかった。
 時間が過ぎることで変わるものがあるなんて、
 全然信じていなかったし、思いつきもしなかった。
 そこまで長期間に渡って、宛てもない他人との関係に固執したいとも
 全く思っていなかったんだ。

 今改めて聴いて、大人の気持ちってこういうものなんだと、
 頭を殴られたように感じ入っている。
 絶望しても好きでいられる強さは、子供には…
 少なくとも子供時代の私にはなかった。
 嫌いだと拒絶されれば、自分の本心を伝える手紙なんて書けなかった。
 いや、今でも書けないだろう。
 私はまだ子供のまま――そう、臆病な子供のままなんだ。
 上がらない雨に悪態をついて、晴れるまで何もせずに待ち続けるだけ。
 なんて柔な生き方なんだろう。
 こんな人生、楽しくないのにね。

『外は雨がまだ止まずに
 濡れてる 人々と街が
 それでも太陽 信じてる』

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『いつでも正義は一つ 勝利者の手の中』
(新機動戦記ガンダムW トレーズ・クシュリナーダ 「星屑の戦士たち」)

 当たり前の事だけれど、忘れがちな事。
 勝たないと正義ではない。負ければ悪である。
 そんな二元論で、この世界は動いている。
 当たり前すぎて、忘れてしまう。

 勝てば官軍、負ければ逆賊。
 勝てば正義で、負ければ悪で。
 勝てば栄光、負ければ終わり。
 負けても次に頑張れば良い、なんて
 実際の世界じゃなかなか通用しない。
 いつも社会システムに従って諦めてしまう。

 憶えおくべきは、世の中の正義が絶対じゃないって事。
 所詮はつくられた正義。
 その正義をぶち壊すのも、一興ってものじゃない?
 だって、二元論の世界なんてつまらないからね。

 そして、そんな二元論に従ってはダメ。
 私は私。私の正義は私が決める。

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『離れてみて初めて 大切な人だって
 本当は心の中じゃ 君のことが溢れていたよ』

(倉木麻衣『happy days』の歌詞から)

 別れたり失ったりして初めて
 その大切さがわかることはよくある。
 今更寂しいって言える立場ならいいけれど、
 そうでない時に溢れるのは、過去への後悔。
 悔しくて、昔の自分を憎んでしまう。

 過去を振り向いてもいい?
 過去を懐かしんでもいい?
 取り戻せない過去に、少しでも近づきたいよ。
 それが、今の私に許されるだろうか?
 
倉木麻衣 『happy days』
作詞 : Mai Kuraki 作曲 : Aika Ohno

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「あなたがどんな生き方をして何を遺して死ぬか、
 それはあなたの自由だ。
 でも、ただ血が繋がっているというだけの理由で
 それを背負わされることは、不幸だと思う。」

(柴田よしき作『ヒー・ラブズ・ユー』 花咲慎一郎のセリフ)

 一人の作家さんにはまって読むという行為は、自分には無縁だと思っていた。
 基本的に読書について雑食で、面白いとか興味があると思ったら
 図書館で借りまくる(注 自分じゃ買わない)。
 一応、一般資料室の書棚は全列一冊以上で制覇したし(意味なし…)
 絶対に興味が湧かない物理学書の横に、
 物理学的に考えたギリシア神話の歴史なんかが置いてあったりするので、
 制覇はノー・プロブレムで成功したわけだ。
 とは言え、文章の上手い作家さんには、こんな私でも惹かれるらしい。
 それで以って、話が面白いとなれば当然のことだ。

 実のところ、私は男性小説家の文章には情緒面で物足りなさを感じる。
 だから、女性作家の方が好みだ。
 前置きが長くなったが、要するに今は柴田よしきさんにはまっている。
 他にこんなにも熱中したのは、久能千明さんと柏葉幸子さんしか思い当たらない。
 雑食人間を菜食に引きずり込む、この方達の文章の面白さ!
 内容の素晴らしさに、キャラクターの臨場感もすごい。
 本当に尊敬している。
 別に勉強と称して読んでいるわけじゃないけど、かなり勉強になっている。
 別の言い方をすれば、自分の文章の面白くなさに疲れている。
 キャラクターに心を打つセリフを言わせた時に、
 読者をそのキャラクターに惚れさせる勢いがある作品はすごい力があるんだ。

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 最近…に限った事ではないけれど、人のせいにしてしまう。
 自分で責任をとることが嫌なんじゃない。
 つまらない事であればあるほど、
 それによって自分の価値が見下げられる気がする。
 そう思うだけの価値が自分にあるわけじゃないのに。

『予定調和(レール)の上を駆け抜ける毎日に
 深くため息 繰り返し
 従う事だけを覚えてきた
 うなずいてはやり過ごす 適当(ひくつ)で孤独なやり方で 
 自分を好きになれず 苦しんでた
 痛みわかり合えそうな瞳
 そう あなたに出会う前まで』

(TWO-MIX LIVING DAYLIGHTS)

 一日が過ぎて、何をしたのか思い出せない。
 充実してない毎日を、妥協の嵐で生きている。
 少しは自分の現実を直視して、自分のペースを見つければいいのに、
 怖がって何もできない。
 自分のこと、好きだけど嫌いだ。

 分かり合える人って、今の私にはいないと思う。
 すっごく苦しいし、そんな自分に価値が見出せない。

 自己嫌悪なんて、とっくに通り越して自己憎悪だけど、
 せめて自分だけは味方でいてあげたいんだ。
 いつか、深いため息なんて笑え飛ばせる日まで。

初投稿時 2005/5/30

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「自分独りが苦しいなんて思い上がるな! みんな同じだ!!」
(久能千明著『誰も悪くない』から 林明のセリフ)

 自分だけが弱い。
 自分だけが孤独。
 自分だけが無力。
 自分だけが悲しい。

 そんなことを思ってしまうことって、本当によくある。
 違う。いつもそう思って生きている。
 とんでもない思い上がりだとわかっていても、
 どうして自分だけが、と心を「惨め箱」に閉じ込めて
 自己満足している。

 皆が弱いんだ。
 皆が孤独なんだ。
 皆が無力なんだ。
 皆が悲しいんだ。
 そして、皆が苦しいんだ。

 そんな当たり前のことを、どうして理解できないんだろう。
 理解しているのに、どうして信じられないんだろう。

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「わたしたちは、おたがいをよく知らないから、こわいのかもしれない。
 正面からぶつからないで、遠くから見ているだけから。
 リナのように、とびこんでいったほうがいいんでしょう。
 リナがやったように、トーマス流にどなりちらしてね」

(柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』から イッちゃんのセリフ)

 本当に人と接する事は怖い事だと思う。
 一番楽しくて、そして一番恐ろしい事なのだ。
 私はいつも逃げている。
 昔はそうでもなかったと思うな。
 正面からぶつかっていったら、誰も受け止めてくれなかった。
 あの時の虚無感ほど、苦しいものはない。
 つらくてつらくて、人とぶつかるのが嫌になったよ。
 どんなに頑張っても、避けられてしまう。
 人のせいにしているわけじゃない。
 あまりにも閉鎖的な社会に、嫌気がさしているんだ。
 そして、そんな世界に染まっている自分が、憎くてたまらない。
 ぶつかって失敗した惨めな自分も、殺したいくらいに憎い。
 過去は変えられないけれど、
 私がぶつけた思いを誰かが肯定してくれたらって、
 馬鹿な事を考えているんだよね。

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 これほどまでに命が軽視されている時代は、
 かつてなかったのではないだろうか?
 生きることに必死な時代は経済的に豊かにはなりにくい。
 でも、人間の生命を粗末にしない時代ではあったはずだ。

『命につく名前を 心と呼ぶ
 名も無き君にも 名も無き僕にも』

(中島みゆき 命の別名)

 心の時代。現代日本社会をそう呼ぶ人もいる。
 だが皮肉にも、軽視されているのは、その心なのだ。
 心の軽視は、すなわち心を宿す命の軽視。
 何故こんな病んだ世界が心の時代なのか、
 不思議と思うと同時に、妙に納得してしまう。
 心が軽視されているから、心を大事にしようと社会が動く。
 だから、心の時代。

 でも、そろそろ命の時代を考えた方がいいと思う。
 切実に。

初投稿時 2005/6/7
 

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