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好きな言葉達。 引用掲載に当たって、改行などの多少の編集を加えています。
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 ずっと無邪気なままでいたい。
 何のしがらみも学ばずに、伸び伸びと生きる自由が続けば良い。
 幼い頃からの願いは決して叶わないもので、
 心を縮こませている今の私がいる。

『陽射しに向かって 何も期待せずに
 この空の下で 無邪気に背伸びする
 そんなはずだったの 私に似ているから
 拾い上げて そっと口付け
 失くしたくないと思う』

(倉木麻衣『いつかは あの空に』の歌詞から)

 いつかは諦めてしまう幼い願い。それを失くしたくないと思う。
 願いが叶うなんて、そんな高望みはしないから、
 せめて気持ちだけは忘れたくない。
 たったそれだけの、小さな祈り。

倉木麻衣 『いつかは あの空に』
作詞 : Mai Kuraki 作曲 : Aika Ohno 

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 学校という場所は壁によって周囲から隔離されているだけでなく、
 ある特定の世代しか普通は立ち入ることのできない、限定された世界である。
 そこから離れるということは、一種の解放であると同時に、
 今まで守られてきた自分が自立して、自らを守っていかなければならないという、
 一種の試練の始まりだと思う。

『離れていてもね 忘れはしないよ
 矛盾抱いて震える日も 君の歌を歌って』

(TWO-MIX 『GRADUATION』)

 旅立った後に訪れる数々の試練に耐える力となるのが、
 学校という狭い世界の中で培われた思い出ではないだろうか。
 あの時も苦しんことはあったけれど、
 あの過去がなければ、外の世界に出た今の自分は、
 守られていないという現状に耐えられない。
 学校とはそんな風に誰もが思える場所でなければならない。

 思い出を口ずさむことで、過去の自分と対話する。
 思い出に今を重ね合わせることで、少しは強くなった自分を自覚する。

 すべての人にとって、学校はそんな場所であって欲しい。

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『終わりなどはないさ
 終わらせることはできるけど』

(ポルノグラフィティ『アゲハ蝶』の歌詞から)

 人生の始まりは誕生ではないと思う。
 人によるけれども、自分が生まれる前の(例えば親の)記憶を共有すれば、
 それはその人にとって人生の始まりだと思う。
 生まれたての時の記憶なんてないんだから、
 自分に残っている記憶の始まりが、人生の始まりだとも言える。
 つまりは、それぞれの意識次第。

 人生の終わりもまた、意識次第で終わる。
 死後の記憶は共有できないけれど、
 肉体的に死ぬ前に、人生を精神的に終わらせることはできる。
 人生は勝手に終わるものではない。
 ここでお終いっていう線引きを自分や、時に他人がつけることで終了する。
 他人がつける例の一つが葬式なんだと思う。
 それは心の線引きのために行われる儀式。

 終わりは人為的にもたらされる。決して自然界の神の御技ではない。

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 人間の社会で生きていく以上、独りで生きるのはちょっと難しい。
 どうしても誰かに依存することは必須だと思う。
 でも、何か一欠けらでも独立することは大切ではないだろうか。

「私達、個族なのよ」
「孤独だって言って悲壮がるんじゃなくて、個人として生きていくの」

(永井路子『茜さす』 友田なつみの言葉)

 一人一人が独立していながら、何かあった時には助け合う。
 家族とか学校とか、そんな枠組みにばかり囚われていたら、何も出来ない。
 他人の意思に沿おうとばかりすると、自己矛盾に疲れ果てる。
 他人の意思を言い訳にして、足踏みばかりしてしまう。

 個族。目指すべき道。

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 小さい頃から踊るのが好きだった。歌うのが好きだった。
 誰かに「私」という存在を見つめていて欲しかった。
 普通、そういう態度を目立ちたがり屋と言うけれど、
 私の場合は少し違うと思う。
 私は普通にしていても、十分に目立つ子どもだったし、今でもそうだ。
 ただ、私は幼い頃から感じていたのかもしれない。
 自分は変わり者であるふりをしていることを。
 そうやって、周囲の人を試し続けていた。

 だって、信用できないから。

「優れたダンサーは優れた人間関係という財産を持っています。
 それを持たないダンサーは、いつしか消えていくのではないかと思います。」

 (森下洋子『バレリーナの情熱』から)

 人間が一流の人かどうかは、その人の精神にかかっているのではないだろうか。
 こういう言葉を自然に出せる人が、私には一流だと思う。
 そんなことで確認しなくとも、著者は私の憧れの芸術家だが。

 どんなに優れた素質を持っていても、磨かなければただのクズ。
 せっかく磨いて能力が開花しても、
 それを生かせる人間関係を持てなければ、それはゴミだ。
 プライドの塊になって、一生の邪魔になるだけだ。

 この世で最も難しく、そして不可欠な才能。
 それは人間関係を上手く築くことに違いない。
 

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『気持ちに嘘つくようなことはやめて
 イエスのイイコは卒業しよう
 そうすればきっと 自分のことを好きになれるはずだよ』

 (PAMELAH『SPIRIT』の歌詞から)

 自分に嘘をつかない日なんてない。
 自分に心から正直になれる日なんてない。
 誰にでもYESって言っているわけじゃないけれど、
 誰にでもNOとは言えない。

 自分のこと、好きだけど嫌いだ。

 自分に素直になるのが、一番難しいことなんだろう。

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 いまでもずっと探している。
 自分のことを本当に理解する誰かに出逢えることを。
 幼い頃と何一つ変わらない。
 でも、一つだけ変わったことがある。
 今の私は知っている。誰もが孤独な演技者だということを。

『僕をありのまま映してくれる鏡が
 広い世界のどこかにあるよ

 誰もが美しい仮面をつけ 涙を隠して舞い踊る

 僕は生きているんだと ここで生きていくんだと
 そして生きていたんだと いつしか誇れるように』

(ナナムジカ 『僕達の舞台』)

 誰もが孤独な戦場で、私は今日もまた旅に出る。
 仮面の下に心を隠して、「私」という人間を演じ続ける。
 社会という名の戦場は、誰もが悲しい戦士であり、
 誰もが美しい演者なのかもしれない。

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 子どもは喧嘩をする生き物だと思う。
 自分の意見を表現する術がわからずに、体全身で叫ぶ。
 それは正しい争いだと思う。
 小さな争いから学ぶことで、人間社会で生きていく術を学ぶのだから。

 でも、大人の争いは醜い。
 節度を知っているくせに知らないふりをする。
 そんな卑怯者達のせいで、どれだけ多くの子どもが傷つけられていることか。

「あなたたち大人が、少しでも責任を全うしてくれたら、
 少しでもやる気を見せてくれたなら、
 ほんの少しでも他人を思いやる気持ちを見せてくれたなら、
 あの子たちも普通でいられたんです」

(『新機動戦記ガンダムW エンドレスワルツ』 ドロシー・カタロニアの台詞)

 どうして子どもが大人のせいで戦わなければならないのか。
 どうして子どもが大人の戦いの中で傷つかなければならないのか。

 子どもが死ぬ。大人によって殺される。
 子どもが死ぬ。大人によって心を殺される。

 どうして終わらないのだろう。
 わからないエンドレス・ワルツ。
 止めなければ。まだ子どもの心を知る者の手で。

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「その前に、謝れ」
(映画『デスノート』 夜神総一郎のセリフ)

 勝手な捜査を続けるあまり、探偵は二人の命を犠牲にした。
 恋人を失った主人公に対して、探偵は「(捜査協力を)歓迎します」とだけ言う。
 それ以前に言うことがあるはずだと、たしなめたこの言葉は、
 正に現代に欠けた常識を示しているのではないだろうか。

 どんなに悪いことをしても、
 自分は悪くないと他者に責任転嫁をして、必死に自分(側)を擁護するばかり。
 一言「ごめんなさい」があれば、時には罪を償う気があれば、
 多くの摩擦は防げるということに、どうして思い至らないのか。

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『信じ合うことで 起こる奇跡がある』
(奥井雅美 『ラストシーン』の歌詞から)

 奇跡。
 その状況下で起こり得ない事が、起こる事。
 起こすのは人か物か、違いはあるけれど、
 自然に起きる事は奇跡じゃなく、ただの偶然。
 でも、人が誰かのために起こす行動は、
 心を繋いでいるからこそ、有り得る行為。
 心を通じ合わせようとする力が、奇跡を生み出すのだろう。

 奇跡に必要なもの。
 それは、信じ合う気持ち。

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