「援助だけで社会のシステムは変わるんだろうかと、
疑問がどんどんふくらんできたんです。
援助に真剣に取り組んでいる人の数は、
地球全体の人口で1%にも満たない数。
残りの99%の人を巻き込まないと、
社会は変わらないんじゃないかと。
そう考えたときに、
『多くの人が関心を持っているのはやはりお金、
つまり、ビジネスだ』と思い至ったんです。
援助する人とされる人、という図式ではなく、対等の立場で、
途上国の人と一緒に笑顔になれることをしたかった。
ビジネスにはその可能性があると思いました」
(『なぜか人に好かれる話し方』から 白木夏子さんの言葉)
ずっと違和感を持ってきた。
ODAとかNGO活動とか、青年海外協力隊とか、
税金や寄付金をいっぱい投入して援助しても、
そういう活動をすることに自己満足して、
結果を出せていない活動が多すぎる。
だから、理解も得られにくいんじゃないかって。
でも、ビジネスにするのはかなり難しい。
私は今のところ何も出来ていないし、
せめてものことをしようと話を書くだけ。
あまり成果の見えないことだけれど、
何もしないよりはいいと思って。
何かしたいな。何ができるのかな。
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昨日、嵐山⇒北嵯峨をウォーキングして来て、
思わず立ち止まったのがこの言葉の前。
嵯峨の奥、山道を少し上った所にある化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)。
たくさんの無縁仏の石碑を前にして
何気なく貼ってあった一枚のポスター。
「子ども しかるな 来た道だ
年より わらうな 行く道だ」
ごもっとも、とうなずくと同時に、
こんなにも無視されてることってないんじゃないだろうか、と
ちょっと切なくなった。
だからこそ、私は立ち止まったんだろうな。
デジカメでこのポスターを撮った私を見て、
隣に立って見ていた高校生くらいの子が、
自分も携帯電話で撮っていた。
あの子も何か感じることがあったんだろうな。
話を交わしたわけでもないけれど、
何となく彼女と連帯感を(勝手に)感じていた。
思わず立ち止まったのがこの言葉の前。
嵯峨の奥、山道を少し上った所にある化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)。
たくさんの無縁仏の石碑を前にして
何気なく貼ってあった一枚のポスター。
「子ども しかるな 来た道だ
年より わらうな 行く道だ」
ごもっとも、とうなずくと同時に、
こんなにも無視されてることってないんじゃないだろうか、と
ちょっと切なくなった。
だからこそ、私は立ち止まったんだろうな。
デジカメでこのポスターを撮った私を見て、
隣に立って見ていた高校生くらいの子が、
自分も携帯電話で撮っていた。
あの子も何か感じることがあったんだろうな。
話を交わしたわけでもないけれど、
何となく彼女と連帯感を(勝手に)感じていた。